無題のブログ 起業1年半に際して

※今からブログに書くことは少々、僕にとってもしんどいことです。見てくださる方がいれば嬉しいですが、気分がよくなるものではありませんので、それを踏まえて読んでくれる方は読んでくれれば幸いです。

いつもありがとうございます、堤です。僕は2017年1月に英会話スクールを名古屋駅でスタートという形でいわゆる起業をはじめました。2016年11月に前職の大手英会話スクールを辞めましたが、この部分に関しては今までこのブログでも明らかにしたことはありませんし、友人・知人にも多くを語ったことはありません。このブログを書いているのが2018年7月14日ですが、ちょうど明日が起業記念1年半の節目になりますので、少し振り返ってみたいと思います。

2014年6月に始まりを迎える

僕は2015年4月の新卒で英会話業界最大手の会社に入社しました。入社自体は4月なのですが、前年の2014年6月より、入社前アルバイトとして名古屋にある1000名規模の生徒数を誇るターミナル校で働くことになりました。当時の僕は少しでも早く働きたいという気持ちでいっぱいで、自分の実力を試したかったんです。任意ではありましたが、入社前アルバイトに応募し、働いていました。

iPadでメモをとりはじめる超常識知らずな入社前アルバイト

今ではほんとに笑い話になりますが、入社前アルバイトの初日、先輩から当然色々と教えてもらうわけです。先輩から業務内容や決まり事を教えてもらっている僕は、iPadをかばんから出し、おもむろにiPadでメモをとりはじめました。笑 今思い返すと、

超常識知らずなやつ。

なんですが、当時の僕は真面目にこれをやっていたから笑えます。皆さんも容易に想像がつくかとは思いますが、iPadでメモをとるなんて記入するのに時間がかかりすぎて不可能です。スティーブ・ジョブズもびっくりですね。

そんな状態なので、僕は敬語や電話の出方もおかしい。これはものすごく自覚があるのですが、ほんとに電話が苦手。そもそも固定電話を子どものころからとったことがなかったので、電話はほんとにトラウマ級でした。

まあ、そんなこんなでなんとかアルバイトを9か月やり通しましたが、1度も実は仕事が楽しいと思ったことはありませんでした。これは何も仕事環境が悪いというわけではなく、完全に僕の責任。常識知らず、ビジネススキルゼロの僕。自己責任です。

そしてある1つのことに徐々に気づき始めたんです。

注意力がない?原因不明?ミス多発

僕は営業系の仕事はできるけれど、事務系の仕事が全くできないということ。

アルバイトの9か月間や新卒入社してからの1年半で明らかになりましたが、僕は本当に事務ができない。会社から指定された書類がクライアントから期日までに回収できない。机の中が汚すぎて、大切な書類をなくす。度重なる発注ミス。細かいミスが多すぎて上司から怒られまくる。

自称ですが、当時1年目に所属していた神奈川県の管轄センターで、事務ができないスタッフNo.1やったと思います。

それでいても、営業成績だけはなぜだか出ました。1年目に最優秀社長賞もとりました。

 

でも。

 

1年目の成績があってか、異例の2年目にして本社配属。大阪本社の事業部のマーケティングを司る部署に配属されました。こちらの部署はどちらかというと営業成績をバンバンあげるというよりかは、事務的な作業が多く求められる部署でした。

転機となった大阪本社配属

どれだけ自分自身注意しても、絶対起きてしまうミス。ほんまに僕は病気なんかじゃないかと思うくらいでした。注意散漫なんですね、基本。期待されて配属された本社の部署。しかし、多発するミス。周りの期待を裏切る形で日に日にその部署にいづらくなっていきました。

毎日が辛すぎて、息をしているだけでも苦しくなりました。

出勤前は喘息が止まりませんでした。

外回りをして会社に戻る際に過呼吸に何度もなりました。

持病の腹痛持ちが悪化して、医師にストレスの腹痛だと診断を受けました。

会社内でも嘔吐が止まらず、何度か死のうとも思いました。

ある日、外回りを終えて会社に戻ろうと会社の前を歩いていた僕はふと今までに見舞われたことのない過呼吸、ほぼ呼吸困難になったことを今でも覚えています。幸い、会社と当時住んでいたマンションが3分くらいの距離にありましたので、とりあえず家に向かった僕。電話で上司に事情を説明し、その日はとりあえず自宅で安静にすることになりました。

 

がしかし。

 

この日を最後に会社に出社することは2度とありませんでした。

出社拒否・大阪の街を放浪

会社に連絡は入れましたが、実質出社拒否です。

僕は会社を辞めようと思ったその日に辞めました。そして辞めようと思ったその日から誰にも会わず、誰にも連絡をとらず、3日間大阪の街を放浪しました。今でもこの3日間は何をしたか正直はっきりと覚えていません。どうなるかわからなかったので、遺書も書いて家を出ました。

さすがに3日間連絡がないと友人や親も心配したようで、警察沙汰になりました。警察が僕の大阪のマンションに僕がいない間に入ったみたいで、僕の机の引き出しから遺書を見つけたみたいです。この遺書、今では誰が保管しているのか、何を書いたのかもはっきり覚えていません。

名古屋から親友が駆け付ける

このとき心配した親友が名古屋から車をとばして大阪まで来てくれたこともありました。その友人たちから警察沙汰になっていることを知り、さすがにやばいと思い、大阪のマンションに戻り、家族や他の友人にも連絡しました。退社の手続きも取りました。

1か月間の有給期間はずっと大阪のマンションで寝ているだけの生活でした。ほぼ誰にも会っていません。無職になった僕はとりあえず名古屋に戻ってきたのが、2016年の10月ごろ。

名古屋へ帰郷

実質無断で会社を退社。

親や友だちにも心配をかける。

そして自分はビジネスの世界で負けたという想い。

 

最悪の状況で名古屋に戻り、僕を誰も迎え入れてくる人はいないんだろうなあ。そんなことを思っていました。

そんな思いとは裏腹に、昔からの名古屋の友人たちに約1年半ぶりに戻ってきたことを連絡すると、あたたかく迎え入れてくれました。そしてこのとき、多くの友人と久しぶりにご飯に行ったり、独立起業をはじめようとしていた僕を支えてくれた友人も多くいました。本当に彼らには感謝してもしきれません。

こんな僕にもなぜ彼らはこんなにも助けてくれるのか。

次は他人のために生きようか

このときから、僕は「他人のために生きよう」という想いが強くなりました。今までもらった恩を返していこう。それは助けてくれた友人だけではなく、僕と出逢ってくださる全ての方へ。僕の座右の銘は、

 

「人の喜びは我が喜び」

 

これは尊敬する先輩であり、恩師であり、同士に貰った言葉。これからもこの想いだけは忘れずに生きていくのだと思います。

名古屋に帰ってきたときは、貯金も手持ちのお金も全くなかった(通帳残高6万円でした)けれど、久しぶりに人の優しさに触れた気がして幸せでした。

 

…僕にできることは英会話を教えたり、WordPressやSNSを教えたり、限られたことしかできないけれど。

 

今まで僕がたくさんの方から頂いたように、今度は僕が多くの方に恩返しする番だと思っています。ちょうど節目の起業後1年半。ブログを書いて、当時を振り返ることによってとてもいい機会になりました。

これからは、

オンラインサロンに入ってくれている僕を信頼してくれる同士たちに貢献します。
僕のサービスをお金を払って受けてくださる方に120%と誠心誠意対応します。
僕と出逢ってくれる全ての人が少しでもプラスになるような生き方をします。

 

初心忘るべからず。

 

2018年7月14日 起業1年半記念に添えて

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